櫻坂46BACKSLIVE(バックスライブ)開催による3つの副次的効果
こんにちは!バックスライブが未だに残っている虎杖玲です。
前回もバックスライブのことについて書かせてもらいましたが、その記事は各曲の感想をただ書きなぐることしかしませんでした。長さの関係で
ただあんなに素晴らしいライブ、掘り下げたくて掘り下げたくて。そこで今回は、バックスライブによる想定外の効果、いわば副次的効果について述べていきます。
目次
前提
まず、そもそもバックスライブはどういう目的で行われたのか。それは、3列目メンバーのレベルアップである。
櫻坂への改名以降、選抜は14人制となり、メンバーのうち10人以上が表題曲に参加できない状況が続いている。
また、すべての楽曲の1,2列目をエイトメンバーが固定で披露される。やはり、全員楽曲に参加できているとはいえ、これではエイトと三列目の実力は広がり続けるばかり。
そこで企画されたのがこのバックスライブである。事実、三列目メンバーは全部で16人(尾関除く)であるため、全員がほぼ全曲参加し、全員がセンターを務めた。
これは確実に彼女たちの実力は向上したばかりか、自信にも大きく影響を与えたことだろう。
さて、そんなバックスライブだが、鑑賞してわかった副次的な効果が3つある。なぜなら、多くのファンや運営が想定していたよりも遥かに完成度の高いライブになったからだ。
副次的効果
1.三列目メンバーの人気押上げ
今回のライブは、全メンバーにちゃんと見せ場が用意されている。多くのメンバーはセンターを3回ずつ披露。一部のメンバーは1回のみの披露となったが、1stや2ndシングルの表題曲という大役を務めることができた。
そのことにより、普段あまりフィーチャーされることのないメンバーがセンターやフロントで堂々と踊っている姿はかなり新鮮だった。
その中で、多くのファンが自分の推し以外のメンバーの新たな魅力に気付かずにはいられなかったはずだ。
例えば、遠藤光莉はもともとダンスが上手いとはいえ、内気な性格もありあまり目立つことは今までなかった。
しかし、今回のライブではノバフォ、それが愛なのねでセンター、また多くの曲のフロントを務めた。配信を見ていてもかなりの回数アップが映し出された。
ファンの間でも遠藤のスタイルの良さであったり、パフォーマンス力の高さが話題となっていたが、これらの魅力が今まで見つかっていなかったことに驚きを隠せない。
また、幸阪は普段のクールな表情とは打って変わって、マイクロスコープのセンターではアイドルスマイル。
幸阪本人の狙いでもある、普段とのギャップの多くのファンがやられたに違いない。筆者も不覚にも心を奪われてしまった。
かと思えば、BANでの人生の電源の切られ方といったら...欅かよ。
このように、自分の推し以外の魅力を痛感した今回のライブ、メンバーが新たなファンを増やす大きなきっかけになったことは明らかである。
エイトメンバーと3列目メンバーの人気格差が解消される日も近いだろう。
2.エイトメンバーの変化
誰もが想像していなかった完成度だったであろう今回のライブ、エイトが何も感じなかったわけがない。
自分たちのポジションを3列目メンバーが堂々と務めている。確かに、完成度は自分たちの方が上だ。でも、明らかに自分たちには足りないものをその子たちは持っていたのだ。
それは欅時代の自分たちならきっと持っていたものである。絶対的センターに必死で 食らいついていく、あの鬼気迫る活力。あるいはその絶対性を必死で自分の肉体で表現しようとする活力。
この活力は今の櫻坂に足りないように感じる。改名後、無意識に蓋をしてしまったかのように(楽曲の変化も大きいかもしれないが)。
このことに多くのエイトメンが気付いたに違いない。ただでさえビジュアル、パフォーマンスに長けたエイトがこの活力を取り戻したならば、3rdはどえらいことになるはずだ。
いや、もうすでに変化は始まっているはずだ。次のTVでの音楽特番ラッシュ、何かが起きるかもしれない。
3.ファンのモチベーション向上
改名以降、ファンの熱狂が落ちたことをひしひしと感じていた。特に欅時代からのファンは、欅を思い出しては「あの頃はよかったよな」などと年寄りみたいなことを抱くばかり。
何かファンの熱量を一気に過熱させる出来事が起きないか。筆者はそう考えていた。
その役割を果たしたのがこのバックスライブになりうる可能性は極めて高い。何度も言うが、こんなライブ見て熱狂しないはずがない。
グループの勢いは、ファンの熱量に比例する。ファンの熱量が大きくなればなるほど、グループには追い風となる。
今回のライブは図らずも、グループの勢いを加速させる結果となったのだ。
まとめ
今回述べた副次的効果はすべて、3列目メンバーの並大抵でない覚悟なくしては実現しなかったであろう。
やはりメンバー全員で櫻坂46なのだ、とあらためて痛感したライブだった。